六曜とは

六曜とは

六曜(ろくよう)は、日本で広く知られている暦注(れきちゅう)の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種類によって、その日の吉凶を占うものです。

現在の六曜そのものが中国で成立したことを示す確実な資料はありませんが、そのルーツと考えられている占法に、中国由来の「六壬(りくじん)」があります。

六壬は、本来は時刻や方位などを占うための術で、中国の古い占術の一つです。日本では、こうした占法が伝わった後、独自の変化を遂げ、現在のような日ごとの吉凶を占う六曜の形になったと考えられています。

一般に「お日柄」と呼ばれるものは六曜を指すことが多く、現代でも結婚式や葬儀などの冠婚葬祭の日取りを決める際に参考にされています。

ただし、六曜による吉凶判断は科学的根拠に基づくものではなく、伝統的な習慣や民間信仰として受け継がれているものです。

六曜の一覧

六曜には以下の6種類があります。それぞれに吉凶や過ごし方に関する言い伝えがあります。

1. 大安(たいあん)

一日を通して吉

「泰安」が由来とされ、六曜の中では最も縁起が良い日とされています。

何事にも良い日とされ、特に結婚式、結納、入籍、開店などの祝い事の日取りとして選ばれることがあります。

2. 友引(ともびき)

朝と夕方は吉、昼(午の刻・午前11時頃〜午後1時頃)は凶

友引は、もともとは「共引(ともびき)」とされ、勝負がつかない日という意味だったと考えられています。

後に「友を引く」という字が当てられたことで、葬儀などの弔事では「友人を冥土へ引く」と解釈されるようになり、避けられる風習が生まれました。

一方で、婚礼では「幸せを友に分ける」という意味に結び付け、縁起が良いと考える場合もあります。

3. 先勝(せんしょう・さきがち)

午前は吉、午後は凶

「先んずれば勝つ」という意味で解釈され、何事も早めに行うことが良いとされる日です。

急ぎの用事や勝負事などは午前中に行うと良いとされています。

4. 先負(せんぶ・さきまけ)

午前は凶、午後は吉

「先んずれば負ける」という意味で解釈され、急がず控えめに過ごす日とされています。

午前中は慎重に行動し、午後から行動すると良いと考えられています。

5. 赤口(しゃっこう・しゃっく)

午の刻(午前11時頃〜午後1時頃)のみ吉、それ以外は凶

赤口は、陰陽道などの影響を受けた暦注と考えられています。

「赤」という字から火や血を連想し、火事や刃物に注意する日とされることがあります。そのため、祝い事の日取りとしては避けられる場合があります。

6. 仏滅(ぶつめつ)

一日を通して凶

仏滅は、もともとは「物滅」などと表記されていたものが変化したと考えられています。

「仏も滅びるほど悪い日」という意味で広まり、六曜の中では特に凶の日とされています。

現在でも結婚式などの祝い事を避ける人がいる一方で、仏滅を気にしない人や、費用面などからあえて選ぶ人もいます。

起源と由来

六曜のルーツと考えられている「六壬」は、中国に由来する占法です。

宋の時代(960年〜1279年)末期の『事林広記(じりんこうき)』には、「六壬時課(りくじんじか)」という時刻占いが掲載されており、六曜につながる古い記録の一つと考えられています。

また、明の時代(1368年〜1644年)の日用書『万宝全書』には、「六壬掌訣(りくじんしょうけつ)」として同様の占法が掲載されています。

同書では、唐の時代(618年〜907年)の数学者・天文学者である李淳風(り・じゅんぷう 602年〜670年)が考案したものとされていますが、後世に権威付けのために著名人の名が用いられた可能性も指摘されています。

清の時代(1644年〜1912年)には、六壬をもとにした日を占う形式のものも見られましたが、中国では広く普及することはなく、その後はほとんど見られなくなりました。

現在でも香港や台湾などでは、民間の暦の中に時刻占いとしての六壬が掲載されることがあります。

日本における六曜の歴史

六壬に関する書物や占法は、鎌倉時代末期から江戸時代初期にかけて日本へ伝わったと考えられています。

日本では、伝来した六壬がそのまま使われたのではなく、独自の変化を遂げ、次第に「日」の吉凶を占うものへと変化していきました。

江戸時代には庶民の間で暦や暦注への関心が高まり、六曜も広まっていきました。貞享5年(1688年)刊行の『頭書長暦(とうしょちょうれき)』には、日を占う形式の六曜の原型と考えられるものが掲載されています。

現在の六曜とほぼ同じ形が整ったのは、享和(1801年〜1804年)から文化(1804年〜1818年)頃と考えられています。

ただし、江戸時代後期の資料では名称に違いが見られ、大安を「泰安」、仏滅を「物滅」と表記する例もありました。また、時刻占いである六壬と区別するため、「六曜」という名称が使われるようになりました。

幕末頃には六曜は民間に広まっていましたが、江戸時代まで暦の作成や配布は朝廷や幕府の管理下にあり、公式の暦には掲載されていませんでした。

明治時代に太陽暦へ改暦されると、政府は迷信的とされた吉凶判断の暦注を官暦から排除しました。ただし、一般の人々が六曜を見ること自体が法律で禁止されたわけではありません。

明治15年(1882年)頃から、政府の許可を得ずに出版された「おばけ暦」と呼ばれる暦が登場し、そこに六曜や三隣亡、九星などの暦注が掲載されました。これらを通じて六曜は民間に残り続けました。

その後、戦時中の出版統制によって一時的に影響を受けましたが、第二次世界大戦後に出版の自由化が進むと、六曜を掲載した暦が再び広く流通し、現在に至っています。

六曜の現在

長い年月を通じて人々の生活や行事の中で受け継がれてきた六曜は、現代でも結婚式や葬儀、引っ越し、開店などの日取りを決める際に参考にされています。

中国の占術に影響を受けながら日本で独自に発展した暦文化の一つとして、六曜は現在も日本の暮らしや行事の中に残っています。