1ヶ月が30日か31日である理由の答えは、古代ローマにあります。

現代の暦は、古代ローマで生まれた太陰暦に幾度となく改訂を加えた暦と、太陽暦が出会ったことで生まれました。

1ヶ月30日と31日の月が存在するこの仕組みは、日本語では月の大小と呼ばれます。

今回は、古代ローマで生まれた暦の変遷をみながら、月の大小が生まれた理由を紐解いてみましょう。

暦は古代ローマで始まった

現在世界中で広く使われている主要な暦は、太陽暦の1つであるグレゴリオ暦です。

グレゴリオ暦は古代ローマで使われていた太陽暦、ユリウス暦から派生しています。

そして暦は幾重にも、変遷を遂げています。

まずは世界最古の暦にまで遡りましょう。

最初の暦、ロムルス暦

紀元前8世紀頃。
ローマには、暦文化がすでにありました。

ロムルス暦です。

ロムルス暦は、1年が10ヶ月しかない奇妙な暦でもあります。

さらにロムルス暦は、現代の暦の3月から始まっています。
3月から数えて10ヶ月ですから、1月と2月は存在しません。
暦も休眠期間という認識です。

1年が12ヶ月になったヌマ暦

ヌマ・ポンピリウスがローマの王であった時代に新しい暦が誕生しました。
ヌマ暦です。
ヌマ暦は、ロムルス暦に改訂が加えられた太陰暦の一種です。
 

ヌマ暦の変更点1:1年が12ヶ月になった

ヌマ暦で最も目を引く特徴は、1年が12ヶ月になった点です。

ロムルス暦では存在しなかった1月と2月が加わっています。

ただ、年始は3月のままです。

ヌマ暦の変更点2:2月だけ28日

ヌマ暦では、2月だけ特別な運用をしています。

通常ヌマ暦では、月の日数は29日か31日です。
当時のローマでは、偶数は不吉な数字とされていました。
そこで、奇数を選んだとされています。

ただ、2月は28日です。
なぜ2月だけ、不吉なはずの偶数、28にしたのでしょうか。

これには諸説ありますが、最も有力と言われている説によれば、古代ローマでは2月は宗教的儀式の多い月であったことが関係しているとされています。
2月は祓い清めるための月という説です。

日本の暦は1月に始まり12月に年末を迎えます。
そして旧暦の12月は、古来は先祖の供養を行う月とされていました。

年末に宗教行事を行う習慣は、古来の世界でも洋の東西を問わなかったのかも知れません。

ヌマ暦の変更点3:閏月が設けられた

閏月という概念は、ヌマ暦で生まれました。

ヌマ暦は太陰暦の一つです。
月の満ち欠けを基準にして作られています。

太陰暦の1年は約355日。
しかしこのまま運用すると、季節と日付にずれが生じます。

この誤差を調整するために、2年に一度閏月を折り込むルール、それが閏月です。

具体的には、調整月である2月を、1ヶ月あたり23日か24日にします。
2年に一度、2月と3月の間に閏月を設ける仕組みです。

ただこの閏月の仕組みは、ある日破綻を迎えます。

閏月が正しく挿入されない事態が発生したことで、季節と暦の間におよそ2ヶ月以上の誤差が生じました。

理由としては、当時の政治的混乱。また戦争といった、社会情勢の影響であろうと考えられています。

ただこのまま、季節と誤差の生じた暦を使い続けるわけにはいきません。
そこで立ち上がったのが、古代ローマの政治家であり軍人でもあるユリウス・カエサルです。

紀元前45年頃の出来事でした。

ユリウス暦で太陰暦から太陽暦に切り替わる

ユリウス・カエサルは各地から学者を集め、太陽暦による新しい暦を作成させました。
ユリウス暦です。

ヌマ暦は、月の満ち欠けを基本周期とする太陰暦でした。
しかしユリウス暦は、地球が太陽の周りを回る周期を元にして作ります。

それまでの暦の常識を覆す画期的な試みでしたが、これが現在にも通じる暦の第一歩です。

ユリウス暦での改定内容1:1月が年始になった

ユリウス暦では、1年が1月から始まるように改訂されました。

ロムルス暦・ヌマ暦と、長きにわたって3月を年始にしていた習慣を終わらせたのが、ユリウス暦です。
ではなぜ、1年の始まりを3月から1月に変更したのでしょうか。

有力な説としてとは、政権交代のタイミングであったなど、政治的な背景があるものと推測されています。

ユリウス暦での改定内容2:1ヶ月が30日か31日に

1ヶ月30日か31日になった。
これも、ユリウス暦の特徴です。
この点にも、現代の暦の片鱗が見えるでしょう。

1ヶ月が30日か31日になった理由には、太陰暦から太陽暦への変遷が関係しています。

太陰暦の1年は、約355日です。
一方太陽暦では、1年は365日もしくは366日と、10日程度増えています。

そのためユリウス暦では、1か月の日数を増やす必要が生じました。

しかし2月は28日のままです。

なぜ2月にだけ特殊な対応をしたのか。
これはやはりヌマ暦同様、2月の歴史的宗教行事や祭礼に関連していると考えられています。

古代ローマでは2月には数多くの宗教儀式が行われていました。
重要な行事の日程が変更になることで起きる混乱を避けた可能性が考えられます。

ユリウス暦での改定内容3:閏月から閏年へ

ユリウス暦では、閏年を設けられました。
4年に1度閏年が訪れ、日数の調整をする仕組みです。

ただ日数の調整は、2月で行われました。

ただ閏年の運用については、当初のユリウス暦と後のユリウス暦では異なります。
誕生当初のユリウス暦では、閏年の年では2月24日が2回訪れます。
つまり4年に1回、2月24日が2回続く年が訪れるというわけです。

なぜ2月24日が2回訪れるルールにしたか。
その理由は、諸説あります。

一説によれば、2月に行われる宗教儀礼の日程変更を避けるためとされています。

ユリウス暦で、2月が28日か29日になった

初代のユリウス暦を制定したカエサルの後継者であるアウグストゥスが皇帝になると、閏年のルールは変更されました。

4年に1回の閏年には、2月が29日になるように変更しています。

この暦の運用の仕方は、現代で使われているグレゴリオ暦にも引き継がれました。

1ヶ月30日と31日の並び方のルール

グレゴリオ暦における30日と31日の月の配置には、特定の規則性はみられません。
一部交互に並んでいる時もあるものの、変則的に並ぶこともあります。

これはロムルス暦の頃にすでにこういった傾向がみられます。

ロムルス暦ですでに月の日数は変則的だった

ロムルス暦の年始である3月は31日です。
4月は30日。
5月は31日。

ただ8月が30日なので次の9月は31日であるはずが、なぜか9月は30日。
10月は31日まで、11月が30日まで。
12月もなぜか30日です。

9月、10月、12月だけイレギュラーに月の日数が配列された理由は定かではありません。

一説によれば、農耕を中心としていた古代ローマの農作業事業に関連しているのではないかとされています。

ヌマ暦も、ロムルス暦の月の大小のルールを引き継いでいる

1ヶ月を29日と31日のヌマ暦は、ロムルス暦とほぼ同様のルールで29日と31日が並びます。

しかしヌマ暦はロムルス暦より2ヶ月多いため日数も多く、1年が約355日です。

そのためヌマ暦では、基本的にはロムルス暦と同じルールで、月の大小が運用されます。
ただ1月は29日。
2月28日です。

ユリウス暦で現在の暦の原型が完成

ユリウス暦の年始1月は、31日です。

その後宗教催事の多い2月は、28もしくは29日。

3月からまた31日、30日と交互に続きます。
この順番で行くと8月は本来30日のはずですが、ユリウス暦では31日になっています。
これは皇帝アウグストゥスが、自身の誕生月が30日しかない小の月では好ましくないと考え、31日に調整したためという説が有力です。

この月の大小の並びはグレゴリオ暦にも引き継がれ、現在に至ります。

古来の日本における月の大小

日本に太陽暦が伝わり、一般的に使用されるようになったのは明治時代のことです。

それ以前は太陽太陰暦の暦を使用していました。

日本古来の暦は、ひと月29日と30日で構成されている

日本で使われていた太陰太陽暦は、太陰暦を基礎としながら太陽の動きも参考にして閏月を用いる暦です。

ただし基本は太陰暦のため、月の満ち欠けの周期に合わせて1ヶ月を考えます。

新月の日から次の新月の前日までを1か月とするので、太陽太陰暦における1ヶ月は約29.5日です。

そのため日本の暦は、ひと月29日と30日で構成されました。

29日は小の月、30日は大の月と呼び、大の月と小の月を交互に並べた暦を運用しています。

あまりにも臨機応変な日本古来の暦

当初は大の月と小の月を交互に並べることで運用していた日本の古来の暦。

しかしこのままでは、季節と暦が徐々にずれていきます。

これを解消するために、2〜3年に1度、13ヶ月の年を作り、調整していました。

また基本的には大の月と小の月が交互に並ぶように構成されていた日本の古来の暦。
しかし月が地球を回る周期は、実際には約29.27日〜29.83日の間で変化しています。

29.5日という平均値から作った29日と30日で構成される月の大小を交互に並べただけでは、月の周期と誤差が生じるケースも生じます。

これを調整するために、次の大小は変則的に並ぶことも多々ありました。

例えば、大の月が3回連続で並んだり。
小の月が2回連続で並んだり、といったこともしばしばでした。
 

不規則に変化する暦を楽しむ文化

大の月と小の月が不規則に変化する仕組みを正確に把握する、金銭の授受を伴う商人にとっては死活問題です。

月末月初の日付を誤りなく認識しなければ、貸し付けた金を回収したり、支払期日を超過してしまったりする恐れもあります。

そこで江戸時代には、商人たちは店先に大の月や小の月といった看板を掲げ、広く周知するようになりました。

また当時の浮世絵師や画家が大小暦に絵を描いたことから、一気に大小暦の人気は拡大。
暦に描かれた絵が目当てで暦を購入し、それを交換するといった文化も広まりました。

明治期の法整備で日本にも太陽暦が普及

大小暦は幕府によって管理されていました。

しかし明治政府が始まると同時に、すでに世界中で広く使われていた太陽暦であるグレゴリオ暦が、日本にも導入されています。

これにより、ひと月が30日と31日で構成され、4年に1回閏年が訪れる現在の暦が使われるようになりました。

日本の暦が30日と31日になったのは、明治期以降のことです。
世界に比べるとかなり後れをとって、グレゴリオ暦が導入されました。

まとめ

ひと月が30日と31日なのは、季節の変化に合わせて1年を12分割した際に最も調整しやすい日数であったからと考えられます。

しかしこの30日と31日の配置には必ずしも合理的な説明がつきません。
また随所に時の権力者の意向や世相などを反映した、理屈では説明できない改変が加えられているケースもあります。
実は暦とは合理的なようでいながら、曖昧でその時々に合わせて臨機応変に対応したことが習慣として残っただけの部分を多分に含みます。

暦には、非合理な生き物である人の暦史が反映されていると言えるでしょう。
それゆえ暦の謎に正解はなく、そのミステリアスな側面に私たちは無性に引きつけて止みません。